悪口と批判の間

悪口と批判は紙一重だとおもう。

最近、両者の境目が何処かという答えの一つをもらった。

それは、悪口や批判の相手が目の前にいるか居ないか。

正しい答えかは別として、この考え方はアリだと思った。

保身と揚げ足とり

例えば、AさんからBさんに対して、過去のメールでXという方法についての説明をしていたとする。
数ヶ月経って、BさんからAさんに向けて、Xの方法について知りたいとら連絡があった。どうやら、すっかりと忘れているようである。

このようなシチュエーションの時、
何も言わずに一から改めて説明するのがよいのか、
「以前にも説明した通り」と前置きをして改めて説明するのが良いのか、
以前のメールを見てくださいと答えるのがいいのか、
よくらからなくなる。

多分、この中で無難な回答は二つ目。
でも、状況によっては、自分は悪くないという主張となり、相手の揚げ足とりにも見えうる。

ならば、状況によって替えればいいということにも聞こえるが、下手をすると、自分が全ての責任を負ってしまう状況にもなる。

正しいことを主張すると、叩かれる状況では、何を持って正しいことを伝えればいいのだろうか。

なにを目指すのか

プロジェクトを進めるには、個人営業ではだめ。

個人営業では、プロジェクトとして請けられる仕事の範囲に限界ができる。

プロジェクトとして、自分の能力を超える仕事をするためには、不足する能力を補うためのメンバーを集め、チームでするべきである。

道端で、羽化する事なく木から落ちたセミの幼虫が蟻に運ばれていた。

これがどういう事か、捉え方を変えるだけで違った解釈ができる。

ただ、どれも結論は同じ。

終着点に向かうプロセスだけが違うだけで、結論は同じ。

その一方で、結論自体をどう捉えるかで、新たな解釈が可能となる。

これができれば、多分、物事を良い方向に導くことができるのだと思う。

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自らを犠牲にする理由

相手のことを思っての事なのが、自分を守るための事なのか。

よく考えるべき。

生き方を改めるべき。

本当に相手の事を考えているならば、目指す場所を目的として明確にして自らを犠牲にすべきである。

自偽他振

自らを偽ってまで.他人に振舞うべきか。
自らを抑制してまで,他人に振舞うべきか。
自らを制圧してまで,他人に振舞うべきか。
自らを殺してまで,他人に振舞うべきか。
自らを絶ってまで,他人に良く見られようとするべきか。
自らを飾るためなら,自分を犠牲にしても良いのですか?

城崩壊

完成しつつあった城が,なぜかしら崩壊しつつあります。
完成は目前。期間にすればたった数ヶ月。
作業員達は,一生懸命資材を運び,全く狂いの無い設計図に基づき働きつづけました。
彼らは,城が完成すると確信してました。
しかし,なぜか崩壊しています。
全く問題ない設計のはずなのに,崩壊しています。
作業員達は,その原因を確かめようと,崩壊した個所に行ってみました。
原因はわかりました。
資材が朽ち始めていたのです。
そう,作業員達はあまりにも時間を掛け過ぎてしまったために,完成より先に資材の寿命がきてしまったのです。
作業員達は,その個所の資材を新しいものへ取り替えれば完成させられると思いました。
しかし,その部分は基礎に近い部分で,取り替えるにはかなりの労力と期間を要します。
もしかしたら,取り替えている間に,また別の崩壊が起こるかもしてません。
作業員達は考えました。
「一掃の事取り壊して,一から作り直せば…」と。
「そうすれば,最新の技術でよりよいものが作れる」…と。

あなたは作業監督です。
作業員が死んでしまうかも知れないほどの労力を使って崩壊個所を新しいものに交換しますか?
それとも,全てを崩し一からよりよいものを作り直しますか?

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悩み

ここ最近,やっぱり時間が過ぎるの早い。
これじゃあ,あっという間に休みに入っちゃうなぁ…。
時間が過ぎるのを早く感じるのは,“充実した時間を過ごす”か“無駄に時間を過ごす”のどちらかではと思うんです。
勝手な考えですが。
今の俺は後者でしょうか…。無駄に過ぎてます。かなりもったいなく。
この下の日記ではフリーターについて書いてるけど,今の状態はそれ以下なのかも知れないです。
やらないといけないことは分かってるのに,なんか手につかない。
特に悩んでるわけじゃないんですよ。ホントです。
自分の思い通りに描いてる人生なんで,悩んでることなんてないんです。
多分。
でも,聞く音楽ジャンルの範囲が広いことや,いろんなことに手を出したくなるのは,精神的に不安定な証拠かも。
自分では,勝手にいろんな事に興味があって,それを聞いてみたりやってみたりしたいと思ってるけど。
実は,違うのかも。正当化するための単なる言い訳なのかも。
本当は悩んでるのかも・・・。
自覚できない悩みは,“悩み”として存在できないはずだけど,
そういう悩みがあることを知った瞬間,そこら辺にある単純な悩みではなく,ズシリとのしかかる巨大な悩みになるのですよ。
恐ろしい・・・。